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丹波焼

日本六古窯の一つに数えられ、伝統技術を今日まで受け継ぐ名品

丹波焼は、瀬戸、常滑(とこなめ)、信楽(しがらき)、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられる焼き物です。呼び名として丹波焼、立杭焼ともいわれますが、1978年、「丹波立杭焼」の名称で、国の伝統的工芸品指定を受けます。丹波焼の起源は、諸説ありますが、須恵器の窯跡が丹波地方で発見されていることから、その影響を受けて発展してきたと考えられます。

丹波焼の発祥は、平安時代末期から鎌倉時代のはじめといわれています。かつては穴窯が使用されていました。穴窯は、山の傾斜地に溝を掘り、粘土などで固め、天井を築いた簡単な造りでした。窯の中は狭いため、一度に焼かれる器の量も少なく、焼き上がりに時間がかかりました。

ところが、江戸時代になり、朝鮮式の登り窯が導入されると、山の傾斜地を長く使用し、半円形上にレンガを積み上げ、焼成室を増やすことで、一度に焼き上がる器の量は格段に増えました。窯内は、最高温度約1300度かつ70時間近く焼かれることで、窯の燃料である松の薪の灰が、器に降りかかります。また、降りかかった灰が釉薬と化合し、様々な色や模様を生み出していく「灰被り」と呼ばれる独特な現象がみられます。登り窯と同時期に伝わった蹴ロクロは、今日までその技法を引き継いでいます。蹴ロクロの回転は、左回りであることが丹波焼の特徴としてあげられます。

兵庫県篠山市の今田町地区に、現在も約60件の窯があります。現存する最古の窯として兵庫県の重要民俗資料に指定された長さ約47メートルの登り窯が今田町上立杭に構えます。それは、明治二十八年に造られ、修復の後、現在も焼成を行います。丹波篠山の風光明媚な環境では、鉄分の多く含まれた陶土が採取され、山の斜面を利用して窯が作られます。独特な渋みを放ち、重厚感を持つ作品が多いです。また、素朴でありながら、端然とした雰囲気を持つ丹波焼は、丹波篠山のありのままの自然が生み出した焼き物といってよいでしょう。

窯が開かれてから長い間、丹波焼は、生活用器を作ってきました。その代表的なものとして、穀物や豆類をすりつぶすための鉢(すり鉢)や、大型の徳利(船徳利)、桶などが作られました。また、江戸時代になり、登り窯が導入されてからは、作品も多様化し、壺(山椒壺)や甕などもたくさん作られました。その他にも、小堀遠州などの影響により、茶碗、茶入、水差しといった茶道具の作品も名器を生み出すことに成功しました。

簡素でどっしりとした形に、濃い茶色、黒色を基調とした渋い味わいが現在も多くの方に愛されます。