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九谷焼

加賀藩の殖産政策として始まり、五彩とよばれる絵の具で、華やかな絵付けと温かみのある色彩を表現

九谷焼とは、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で作られる色絵の磁器で、日本を代表する伝統工芸です。

九谷焼という名前は、今から約350年以上前、1,650年代に、加賀国江沼郡九谷村で誕生したことに由来します。当時の九谷焼「古九谷」を彩った紺青色、青色(一般的な緑色)、黄色、紫色、赤色で構成した「五彩」とよばれる色使いは、現在も受け継がれ、九谷焼の表現として全国に知れ渡ります。九谷焼の種類は、現代においても様々で、色絵、青手、色絵金彩、彩釉磁器、釉裏金彩など幅広く、世界中で高い評価を受けています。

加賀藩の御用窯として発展した九谷焼は、色絵や金襴手などの華やかで繊細な絵付けが特徴です。江戸中期には、突然窯を閉じる出来事が起こり、この間に焼かれた器を「古九谷」とよび、後世、日本の色絵磁器の代表作として、大変注目されます。

古九谷が作られたのは、17世紀中ごろのことですが、はじめから古九谷と呼ばれていたわけではありません。加賀大聖寺藩の九谷古窯で作られた焼き物を主に「大聖寺焼」と呼んでいました。それに対し「九谷焼」という名称がでてくるのは、約100年後の18世紀末から19世紀初頭のことで、佐賀の伊万里焼で主流でなくなりつつあった色絵磁器は、加賀藩の産物とみなされるようになりました。そして19世紀に「再興九谷焼」が作られると、それに対し古い九谷焼という意味で「古九谷」という名称が生まれたと言われています。

古九谷の廃窯から、約80年を経て、金沢に春日山窯が開かれ、加賀藩に磁器生産の機運が広まりました。また、明治時代には海外へ輸出され、その技術と造形美は、世界中で高い評価を受けました。長い期間にわたり、多くの陶工が生み出した九谷ならではの様々な技法があります。

九谷焼で用いる「和絵具」は、焼き上げることで発色し、またガラス質へと変容します。金を惜しみなく使い、絢爛豪華に仕上げた大皿から、シンプルな図案を精緻に描いた小さな器まで、作り手の意思により発展していくことが九谷焼の魅力となります。

日本の金箔は、そのほとんどが石川県金沢市で生産されます。また、小松市は、金箔の産地である金沢市に近く、金は昔から身近な存在として受け継がれました。なかでも「釉裏金彩」は、厚さの異なる金箔を切り取り、その上から釉薬を掛けて焼き上げ、緻密な文様を表現する高度な技法です。平成十三年、吉田美統氏は、重要無形文化財「釉裏金彩」の保持者に認定。従来の技法を用い、柔軟な発想で、新たな表現を確立。